暗黙知 / 形式知

暗黙知 / 形式知

暗黙知と形式知は、マイケル・ポランニーが『暗黙知の次元』で示した「知識(ナレッジ)」の認識論的な分類です。

ポランニーは、「私たちは、言葉に出来るより多くのことを知ることができる」と言い、言語などの明示的・形式的表現では伝達不可能な知を暗黙知と呼んでその存在を指摘し、言語などの明示的・形式的表現での伝達が可能な知を形式知と呼びました。

暗黙知は、特定状況に関する個人的な知識で、形式化(言語化、データ化、情報化)したり他人に伝えたりするのが難しいものです。一方、形式知は明示的なもので、論理的な伝達・表現手段によって伝達することが可能なものです。

暗黙知と形式知の特徴

暗黙知と形式知の特徴

ポランニーは、人が他人の顔を見分けることが出来るが、その見分け方を具体的には説明できない、という例で暗黙知と形式知の違いを例示しています。

別の例で言えば、一橋大学の野中郁次郎氏と竹内弘高氏は、長嶋茂雄氏は素晴らしいバッターだったが、どうしたらそんなに打てるのかを言葉でうまく説明はできなかったと言っています。

 

もう少し別の例を示したいと思います。

人は運転の仕方を教習所の座学で習って知識を得ていても、始めてクルマに乗っていきなりスムーズに運転することは出来ません。実際に経験してはじめて気づくことが多いからです。特にマニュアル・シフトの操作は、事前に操作方法(形式知)を知ることは必要ですが、アクセルとクラッチとシフト・ノブを動かす微妙なタイミングと深さは、何度もエンストしてみてはじめてベストなバランスを習得できるものです。そうして習得した知識を今度新たに免許を取得しようとしている人に教えようとした場合、やはりいくら親切にアクセル、クラッチ、シフト・ノブの話をしても、新人ドライバーは一度はエンストするでしょう。言葉では伝えきれない知識があるのです。

 

このように身体的運動を伴う暗黙知に関しては、いくら言語化して説明しようとしても伝えきれないものが残ります。しかし、暗黙知は身体的な暗黙知だけではありません。認知的な暗黙知というものがあります。認知的な暗黙知とは、別の表現をすれば、「メンタル・モデル」です。これは具体的には、スキーマ、(思考の)フレーム、世界観、パースペクティブ、信念、視点などが挙げられます(野中郁次郎・竹内弘高【著】『知識創造企業』)。これらは、それそのものを直接的に言語化することは難しいものの、言語によるコミュニケーションを重ねることでしだいに形式化が可能となります。その過程では、しばしばアナロジーやメタファーが用いられます。

 

暗黙知と形式知の分類は、以下の図のようになります。

形式知と2種類の暗黙知

形式知と2種類の暗黙知

 

この暗黙知と形式知という概念は、野中郁次郎氏らの提起した広義のナレッジ・マネジメント、あるいは「知識創造」という経営理論において非常に重要な概念です。野中氏らは、この暗黙知と形式知の相互変換を通して組織の知の強化が図られると考え、その実践プロセスをSECIというモデルにして提示しました。

狭義のナレッジ・マネジメントと言われるものは、企業内あるいはそのステークホルダー間での形式知の効率的な活用にスポットを当てています。ビジネス・インテリジェンス・ツールもそのひとつと言えるでしょう。こうした狭義のナレッジ・マネジメントは「知識経営」というよりは、「知識管理」というほうがふさわしい表現かもしれません。それに対し、野中氏らの提示する広義のナレッジ・マネジメントは、個人の中で起こる暗黙知の創出も射程に含めた、「組織的知識創造」の理論です。

クラウド・ソーシングに関しても、実態は形式知のマス・コラボレーションです。暗黙知は、その特性上、マス化・流通化が難しいと言えます。

 

ここに企業がフェイスtoフェイスで顔を合わせてコラボレーションや交流をすることの意義がありあす。LAN、WAN、インターネットなどのネットワークに載せてエクスチェンジ可能なナレッジは、形式知です。ネットワーク上でエクスチェンジ可能なナレッジはいわば「情報」です。メンタル・モデルは取引・流通されません。異なる業界のプレイヤーや異なる段階の流通プレイヤーとネットワークを介してナレッジをエクスチェンジする場合、それは技術情報や特許情報などの情報や販売情報などのデータです。そこには、異業種・異業界ならではの“視点”、“ものの見方”、“思考のフレーム”といった暗黙知は取引されません。これらは流通チャネルに載せて取引することが難しいからです。

しかし、革新的なブレークスルーやビジネス・イノベーションというものは、異なる視点やものの見方、異なる暗黙知の交差点に生まれます。たとえば、イタリアのメディチ家が多様なジャンルの個性豊かな芸術家を各地からフィレンツェに呼び寄せて交流が生まれた結果、ルネサンスという飛躍的な芸術開花が起こりました(“The Medici Effect” Frans Johanson)。ネットワークを介して形式知をエクスチェンジすることは漸進的な課題解決には繋がりますが、革新的なイノベーションには繋がりにくく、有用ではありますが限界もあります。したがって、暗黙知レベルでのナレッジのエクスチェンジを促すこと、たとえばフェイスtoフェイスでのナレッジのコラボレーションや交流をすることは、形式知のエクスチェンジのみでは成し遂げられない革新的なブレーク・スルーやイノベーションの可能性を飛躍的に高めます。